丸太の日記

胎界主とSoundHorizonのブログ

『尾籠憲一 異色短篇漫画集』 全篇感想など

尾籠憲一 異色短篇漫画集』①〜⑧の感想とか。

 

1. はじめに

尾籠憲一 異色短篇漫画集』は、WEB漫画『胎界主』の作者である尾籠憲一先生が、胎界主第三部の準備期間中に制作・公開した一連の短篇集です。
Amazon Kindleで販売していたり、作者の支援サイトで有料公開していたり、ウェブサイトで無料公開していたりします。

この記事は『暮六つ』~『同調』の8篇について、読んで考えたことをまとめました。
ネタバレ有りなので未読の方はご注意下さい。

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2.各篇感想

① 暮れ六つ 覗き顔 道連れ

現実と幻想の境界

この三篇は短篇の中でも、ストレートに「怖さ」の描写を中心に描かれていると思いました。
『覗き顔』は話としてはオーソドックスですが、隙間に対する恐怖心は身近に感じられました。
『道連れ』は霊の描写よりも、どちらかというと子供が幻視だと気づく場面の方がゾッとしてよかったです。
特に好きなのは『暮れ六つ』の、雨上がりの夕焼けから一転現れる「黄昏の国」の描写。なんでトマトなのか分かりませんが、その不可解さも含めて異界の恐怖感の演出が素敵です。

逢魔が時、川の彼岸、狐の嫁入り、門をくぐる、etc. 。境界線を越え取り巻く世界が切り替わる時の、認識が揺らぐ感覚は、昔から人間に異界の存在を幻想させてきました。
小松さんと法蓮さんのこれまでの関係性は、作中ではあまり描写されていませんが、それほど親しくはなかったようです。
黄昏時にできた二人の関係は、揺らぎの中だからこそ生じた偶発的なものだったのだと思います。そういった繋がりは、深く強い繋がりとは違う意味で、かけがえのないものになったりします。
思えば彼女たちの年の頃には、自分もそんな曖昧な世界で生きていたような気がします。

オレオレ詐欺 

決断を売る詐欺師、決断を買う詐欺師

「願いを叶える代わりに代償を求める系の化け物」にとって、代償をブッチしようとする人間をどう御するかは実力の問われるところです。
本篇の化け物くんの、未来の相手になりすますという手法は中々よくできていると思いました。仮に人間側が化け物を疑い、「首を突っ込む」のを躊躇したとしても、もし本当だった場合協力しなければ報酬がなかったことになってしまいます。
相手自身を報酬の入手経路に組み込む(と思い込ませる)ことで、正に被害者を共犯者にしてしまうわけです。

しかしこんな相手の協力が必要なリスキーな手を使わずとも、あれほど高精度の未来予知ができるなら人間を手に入れる方法はありそうなもの。とすればこの化け物は、単に人の肉を食っているわけではなさそうです。
自分で決断した者が生き残る、という鎖孤田さんの信念は、詐欺行為の自己正当化によって生まれた、自分を騙す嘘かもしれません。しかし彼が自らの足で立つ若者たちの中に見た輝きは、金よりも親よりも大事なそれは、確かに本物だったはずです。
彼の求めた、自ら未来を切り開くための決断こそ、化け物にとってのご馳走でもあったのではないでしょうか。
決断という代え難い輝きを詐欺によって金に代えてきたこと報いが、この結末だったのかなと思いました。

③ 童貞を捨てるなんてとんでもない!それを今から説明してやる!

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有史以来あらゆる重要な舞台に登場し、人類の歴史に干渉してきた謎の組織…女。

いわゆる陰謀論について、私があまり好きになれない点は、嘘や誤りであることよりも、その論に必然性が無いことです。結論ありきで過程は何でもいいのなら論を立てる意味ないじゃん、と思ってしまいます。
なので本篇おまけページの「設定なんて後からどうにでも辻褄合わせできるんだよ」と言わんばかりの真相解説には、勝手に溜飲が下がりました。

「外宇宙異次元生命体」のような突飛な仮説を用いずとも、道徳的観点から生殖行為を非難する考え方もあります。そういった主義主張に説得力を感じつつも私が同意できないのは、サブカルチャーを始めとした人間の創りだすものに、どうしても価値を感じてしまうからです。
アニメにせよ、陰謀論にせよ、創世神話にせよ、人が物語を創るのは、何かしらの欠落を埋めるためだと思っています。亀十先輩の言う「結婚したクリエイターは駄目になる」というのが本当なら、それはきっと創作活動以外に、欠落を埋める手段を手に入れたからじゃないでしょうか。
常に満たされ永遠に生きる完全生物と、死ぬまで満たされず飢餓感に煽られ、飢えを凌ぐために物語を創り続けていく生物。後者の方に魅力を感じてしまうのは、私の遺伝子が蛇に犯されてしまっているからなのでしょう。

④ 落とし穴

ラッカもうネズミでも飼ってろよ
※アマゾンレビューに投稿したものを一部流用。

「ここから落ちたらどうなるんだろう」という想像は、希死念慮や高所恐怖症をもたない自分でも頭をよぎることがあります。
目が眩み、足が竦み、玉がヒュンとなるあの感覚は、おそらく本能に根ざした危機回避機能で、「柵があるから」「足場が丈夫だから」「安全帯を着けているから」と、指差し確認しながら理性で抑え込んでいます。
本篇における落下の恐怖の描写は身に覚えがある分、真に迫るものがありました。

禁を犯した者に降りかかる祟り。常に身に付きまとい、目には見えず、気づかぬ間に大きくなり、一度呑まれれば破滅する「穴」。それを開けてしまうのは軽率な若者たちに限りません。幼いの頃のイタズラ、身近な人間への不義理、仕事上のミス。その瑕疵の大小に比例しない穴は、誰の足元にも口を開けています。
そんな穴から身を守る一般的な方法は、他者との関係を築くこと。他人を命綱として利用することに罪悪感を覚えながらも、地道に安全網を形成していくのが狡く賢い弱者の生き方です。
ホルくんが物語の当初冷静、あるいは無神経だったのは、呪いの対象外だったことだけではなく、他者との繋がりによって形成された足場を疑っていなかったからなのだと思います。その繋がりが、切れたら他の誰かと結び直せばいい、ただの命綱だと気付いた時、彼は初めて穴の恐ろしさを理解しました。
欺瞞だと気付いてしまったその繋がりが、千切れた途端に世界を奈落へ誘ってしまったことは、彼にとってある意味救いになったのかもしれません。

⑤ ようこそ俺の世界へ

因果を書き換へ望みの結末へと

子どもの頃読んだ藤子不二雄の『T・Pぼん』で、タイムパトロールが過去を改変し、主人公を生まれなかったことにしようとする展開がありました。行為それ自体よりも、タイムパトロールの軽々しさに衝撃を受けた記憶があります。
論理は因果律を基に成り立っていて、原因→結果の順序は絶対です(量子力学とかだと違うらしいですが)。その論理の大前提がひっくり返った世界の人間は、一体どんな価値観、倫理観を持ち得るのか、想像することは難しいです。
因果に干渉することは既存の世界を変えるというよりも、新しい世界を創っているということに近い気がします。

ドラえもん』のどくさいスイッチでは、消した人間の役割を別な人間が担うことで世界の整合性を保っていました。しかしこれは厳密に考えていくとどこかで矛盾が生じている気がします*1
本篇でも、瓢箪に吸い込まれた人間は初めから存在しなかったこととして、記憶や記録の改竄が行われますが、その人間が担っていた役割は空白となってしまいます。
人は世界に存在するだけで大きな空間を占めており、その体積は人一人の手にはとても収まりきりません。

サロットサル氏のドキュメンタリーを某所で違法視聴しましたが、彼を駆り立てた「自分なら世界を良くできる」という妄念は、誰もが染まりうるものだと思いました。
茨田がその欲に取り憑かれなかったのは、きっと彼がどこまでも自分勝手だったからで、だからこそ人一人が世界を創ることの欺瞞を指摘できたのだと思います。
きっと彼のような人間こそ、この世界の支配者に相応しいのでしょう。
そんなわけないですね。

⑥ 疣

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俺エロ同人読んでこのキャラの良さ分かった!

非モテ男子のダベリから始まる本篇。「外見よりも中身を見ろ」という古部君の主張には一理ありますが、そう主張する本人も結局外見で見ている、というのも非モテあるある。
むしろ顔や身体を見ているならまだいい方で、実際に見ているのは身体からはみ出た外側の部分、自分が妄想した相手の理想像だったりします。自分の脳内で上映している分には勝手ですが、それを本人に求め出すと途端に不和が生まれます。
男性からの視線に対する水坊君の感情が、優越感から恐怖に切り替わったのは、視線を浴びる対象が疣から自分自身に移った時でした。
本来の自分とは異なる像を他人からまなざされること、他者に自分の在り方を規定されることへの拒否感は、性欲への生理的嫌悪とは別種の不快感を与えます。

しかし相手の心の内をその目で見ることはできません。感情や価値観を言葉で伝えられたとしても、その真偽や正確性を判断するのは結局のところ自分です。
脳という色眼鏡を通さずに相手の本質を、純粋な相手自身を求めることを真の愛とするならば、それはある種の虫のように、番った相手を食らい自らの血肉にすることなのかもしれません。
私はそんなもの御免ですが。

一番好きな台詞は「じゃあくわえてよ」です。

⑦ 牛鬼vs上級国民

その全てに責任が持てるか?

「権力者は金を貰い過ぎだ」ってのはどこぞのプロパガンダですが、私だったらどれだけ大金を積まれても、あんな風に責められる立場にはなりたくないな、と思います。例え失策や悪徳を重ねても、矢面に立っているという点については、その種の人達を尊敬しています。
もっとも権力者でなくとも、仕事をしていれば大なり小なり責任は負わされます。「なんで自分がこんな目に」と思うことはしょっちゅうで、謝罪会見を開く経営者や、断頭台に送られた為政者も似たような思いだったのかなと、勝手に思いを馳せています。

上級国民の一般国民に対する蔑みも、一般国民の上級国民に対する反感も、根にあるのはおそらく同じ、「行いには相応しい報いがあるべき」という観念です。しかしそれは物理法則などではなく、人間が作り出した決め事、ある種の呪いです。
楽能会長の言う通り、例年通り予算を組んでいたとしても氾濫は防げなかったかもしれません。コストカットしなかったことで経営が悪化すれば、その責任を問われることになります。
何が成功で何が失敗か、それにはどんな報酬、あるいは罰が相応しいのか。誰かの都合で決められた基準によって、自分の扱いが左右されることのアホくささ。それに気付いた時それを捨てるのか、それでもなお受け入れるのか。
会長が牛鬼脱走の責任を社長に押し付けた時、きっとそれは会長の手から滑り落ち、社長が水害の責任を受け入れたことでそれは社長の手に渡りました。

そんなバカバカしいもの、どれだけ大金を積まれても私は背負いたくはありません。しかし例えば尊敬する誰かが、あるいは代々の先祖が、信じて守り抜いてきたものだったとしたら、くだらないと分かっていても、その重さに価値を感じてしまうのかもしれません。

⑧ 同調

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キミの星だってきっと似たようなもんだろう?

「同調」と聞くと、外部からの同調圧力が思い浮かびますが、本篇ではむしろ内部から生じる、同調への誘惑が描かれているように思います。

ネットスラングや映画の台詞を諳んじて同族意識を高めるのは、イタいオタクにありがちなムーブですが、広く社会で行われている、挨拶や礼儀作法で人をふるいにかける行為も、本質的には同じことのように思います。
半年ROMれ」というのは匿名掲示板へ参加する際の心構えを示した名言ですが、現実の世界では20年以上ROMっていても、知らないローカルルールが山のようにあります。
世に溢れる暗黙の了解に嫌気が差しつつも、それに適応できない人間をどこか下に見ていたり。
「みんなと同じ」ことの快感と、「あいつらとは違う」ことの快感は表裏一体です。

りんごの万引きにあんずが動揺する場面、懐かしい気持ちになりました。身近な友達でも自分と全く違う文化や倫理観を持っていることに、幼い頃はいちいち衝撃を受けていました。
大人になるにつれてそういう感覚は薄れていきましたが、別に違いを受け入れられた訳ではありません。理解し難い人々が視界に入るたび、「あいつらはこういう人種だから」と型にはめて分類し、自分とは違う存在だと切り離すことで心の平穏を保っています。

薬物によってあんずの頭を駆け巡った友達との思い出。子供の頃は、理解や共感はできなくても、なんとなく一緒にいて同じことをしていればそれが友達というものでした。
例え異次元の存在とでも通じてしまえる「同調」という行為が、我々の社会を成立させているのかもしれません。

3. おわりに

色々深読み裏読みしちゃいましたが、自分の興味ある部分を掘り下げただけなので、これがこの短篇の主題だとか、この読み方が正しいとかではないです。触れてない文脈も多いし。

通して読むと、怪奇短篇なので全体的にバッドエンド傾向ですが、決して露悪的だったり厭世的なばかりではない、ある種の爽やかさがあるのが尾籠先生の味だなと思いました。
人間の抱える不合理と、世界を構成する合理との矛盾が怪奇として現れるなら、それに翻弄される人間の有様は不条理でありつつも、因果応報のようでもあります。

あまり触れませんでしたが絵も面白い。大ゴマ決めゴマのかっこよさもいいですが、怪奇現象たちの質感の生っぽさとイヤさが特に好きです。

短篇は現在無期限停止中ですが、胎界主第三部の制作に詰まったらまた短篇を始めるかもしれないとのこと*2
今回描かれたもの以外にも短篇のアイディアのストックがあるようです。(今後の予定|WEB漫画 胎界主『最終話 胎界主ピュア』
気になるタイトルも結構あるので、機会があれば読んでみたいですね。

 

*1:この道具は「どくさい者をこらしめるための」ものらしいので、あくまで使用者本人の主観で矛盾がなければいいんだと思いますが。

*2:このことについて書かれたFanboxの記事は今見たら削除されてました。